
宅地建物取引業法(以下、宅建業法)第47条の2第2項では、宅建業者及びその従業者等に対して「宅地建物取引業に係る契約を締結させ、又は宅地建物取引業に係る契約の申込みの撤回若しくは解除を妨げるため、宅地建物取引業者の相手方等を威迫してはならない」と明確に規定しています。
ここでいう「威迫」とは、一般的な「脅迫」とは異なる概念です。脅迫が「害悪の告知」を必要とし、相手に恐怖心を生じさせる程度のものであることを要するのに対し、威迫行為はそこまでの強さを必要としません。具体的には、相手方に対して言動や動作で気勢を示し、不安や困惑の念を生じさせる行為を指します。
平成7年の宅建業法改正で追加されたこの規定は、刑法上の脅迫罪に該当しないような巧妙かつ悪質な行為、例えば地上げ行為などを規制する目的がありました。宅建業が「信頼産業」であることを踏まえ、顧客の自由な意思決定を保護するための重要な規制となっています。
威迫行為と脅迫の最大の違いは、その行為の強度と法的位置づけにあります。脅迫は刑法上の犯罪行為であり、「害悪の告知」という明確な要件がありますが、威迫行為はより広い概念で、相手に「不安の念」を抱かせる行為全般を指します。
具体的な威迫行為の事例としては、以下のようなものが挙げられます。
これらの行為は、直接的な脅しや恐怖を与えるものではなくても、顧客に不安や動揺を与え、自由な意思決定を妨げるものであり、宅建業法で禁止される威迫行為に該当します。
顧客が少しでも「不安」を感じたり「動揺」したりするような言動があれば、それは全て「威迫」と判断される可能性があります。そのため、宅建業者は営業活動において常に顧客の心理状態に配慮する必要があります。
宅建業法では、威迫行為を行った宅建業者に対して厳しい監督処分が定められています。具体的な処分内容は以下の通りです。
これらの処分は、国土交通大臣または都道府県知事によって行われます。特に注目すべき点として、宅建業法第65条第2項および第66条第1項第9号により、威迫行為は業務停止処分の対象となり、情状が特に重い場合には免許取消処分の対象となることが明記されています。
実際の処分事例としては、以下のようなケースがあります。
これらの処分は宅建業者の信用と経営に直接影響するため、威迫行為の禁止は単なる倫理的問題ではなく、事業継続に関わる重要な法的制約として認識する必要があります。
宅建業法における威迫行為の禁止は、勧誘規制の一部に過ぎません。宅建業法第47条の2では、威迫行為の禁止に加えて、以下のような勧誘に関する規制が定められています。
これらの規制は、消費者保護の観点から設けられており、宅建業者が顧客との信頼関係を構築しながら健全な取引を行うための指針となっています。
また、2017年の宅建業法改正では、さらに勧誘規制が強化され、以下の項目が追加されました。
これらの規制は、威迫行為の禁止と合わせて、宅建業における公正な取引環境を確保するための重要な枠組みとなっています。
宅建業者が威迫行為と誤解されるリスクを回避し、適切な営業活動を行うためには、以下のような実務対応策が有効です。
これらの対応策を実施することで、威迫行為と誤解されるリスクを低減し、顧客との信頼関係を構築することができます。また、こうした取り組みは単に法令遵守のためだけでなく、長期的な顧客満足度の向上にもつながります。
宅建業法における威迫行為の禁止は、消費者契約法の規定とも密接に関連しています。消費者契約法第4条では、消費者が事業者の不当な勧誘により契約を締結した場合、その意思表示を取り消すことができる権利を定めています。
消費者契約法第4条第3項では、事業者が消費者を威迫して困惑させることにより契約を締結させた場合、消費者はその契約を取り消すことができると規定しています。具体的には以下のような行為が該当します。
これらの規定は、宅建業法における威迫行為の禁止を補完するものであり、消費者保護の観点からより具体的な規制を設けています。
宅建業者が威迫行為を行った場合、宅建業法による行政処分の対象となるだけでなく、消費者契約法に基づいて契約が取り消される可能性もあります。これにより、宅建業者は二重の法的リスクを負うことになります。
また、2022年4月に改正された消費者契約法では、「消費者の判断力の不足に乗じて」契約を締結させる行為も取消権の対象となりました。これは高齢者や若年者など判断力が不十分な消費者を保護するための規定であり、宅建業者の勧誘においても十分な配慮が必要です。
消費者庁による消費者契約法改正の解説資料
宅建業者は、宅建業法と消費者契約法の両方の規制を理解し、適切な営業活動を行うことが求められます。特に、高齢者や不動産取引に不慣れな消費者に対しては、より丁寧な説明と配慮が必要です。
デジタル技術の発展に伴い、不動産取引のオンライン化が進む中で、威迫行為も新たな形態で発生する可能性があります。従来の対面や電話での威迫行為に加え、オンライン上での威迫行為にも注意が必要です。
デジタル時代においても、宅建業法の基本原則は変わりません。顧客の自由な意思決定を尊重し、不安や困惑を与えるような行為は避けるべきです。むしろ、デジタル技術を活用して、より透明性の高い取引環境を構築することが求められています。
国土交通省による不動産取引のIT化に関するガイドライン
宅建業者は、対面取引とデジタル取引の両方において、威迫行為を避け、顧客との信頼関係を構築することが重要です。デジタル技術は顧客の利便性向上のために活用し、不当な心理的圧力をかけるツールとして使用してはなりません。