
情報の非対称性とは、市場で経済的な取引を行う際に、その取引の当事者たちが同じ情報を持たず、一部の者に情報が偏在してしまう現象を指します 。この問題は、売り手が商品の品質について買い手よりもはるかに詳細な情報を持っているという状況で典型的に発生します 。
参考)https://www.koueki.jp/dic/hieiri_521/
特に不動産取引においては、情報の非対称性が顕著に現れます。不動産業界では、顧客と不動産業者の間に情報の非対称性があることが大きな課題となっており、これが46.5兆円という大きな市場規模を持つ業界の構造的な問題として指摘されています 。不動産購入者は物件についてあまり知らないのに対し、業者は詳細な情報を把握している状況が続いており、業者側は伝えたい情報を積極的に開示する一方で、伝えたくない情報については義務付けられた事項を除いて消極的な姿勢を取りがちです 。
参考)https://channel.gate.estate/archives/9930421413
情報の非対称性の最も有名な具体例として、ジョージ・アーサー・アカロフが提唱した「レモン市場」理論があります 。これは、商品の売り手と買い手に情報格差が存在するため、安くて品質の悪い商品(レモン)ばかりが流通し、高くて品質の良い商品が出回りにくくなる現象です 。レモンとは、皮が厚くて外見から中身の見分けがつかないことから、主に米国で低品質の中古車の俗語として使われています 。
参考)https://www.nomura.co.jp/terms/japan/re/A02404.html
中古車市場では、売り手は車の状態について買い手よりもはるかに良く理解している一方、買い手は売り手から提供された情報と自身の車両評価能力に頼らざるを得ません 。この情報格差により、買い手は車の適正な価格を判断するのが困難になり、情報の不均衡が市場の不公正を引き起こす可能性があります 。
参考)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E9%9D%9E%E5%AF%BE%E7%A7%B0%E6%80%A7
売り手は買い手が商品の本質を知らないため、自分の売りたい商品が不良品でも良質な商品として売ろうとするのに対し、買い手はそれが低品質の商品だと分かると次第に評価をしなくなり、さらに買い取り価格を下げるため、ますます不良品が多く出回る市場になってしまいます 。
不動産取引においても、アカロフのレモン市場と同様の問題が発生します 。値札は見えているものの、それに見合う価値があるのかが購入者には判断できない状況が生まれます。中古マンションの場合、2000万円の売り出し価格は明確でも、その物件が2000万円以上の価値のある掘り出し物なのか、価格に見合う価値なのか、実際は1500万円ほどの価値しかないのかは、購入者には分からないのが現実です 。
不動産業界における情報の非対称性は、高額商材ゆえに一般の人が不動産売買や賃貸などの取引をする機会が少なく、知見を得にくいという構造的な問題から生じています 。さらに、日本では国や業界による情報公開が十分でないという指摘もあり、これが情報格差を拡大させる要因となっています 。
参考)https://www.ipsj.or.jp/dp/contents/publication/43/S1103-S02.html
特に宅建業界では、元付業者と買主側を仲介する宅建業者(客付業者)との間に情報の非対称性が存在することで、囲い込みという問題が発生しています 。元付業者が客付業者からの物件確認や資料請求に対して情報を100%開示する法的義務がないため、両手取引の実現を妨げる要素を排除しようと行動する結果、情報開示が制限される状況が生まれています 。
参考)https://rita-hudousan.com/info/page_582.html
保険市場も情報の非対称性が顕著に現れる分野の一つです 。保険契約では、被保険者(情報優位者)が自分の健康状態やリスクについて保険会社(情報劣位者)よりも詳細な情報を持っています。この情報格差により、高リスクな被保険者ほど保険に加入したがる一方、低リスクな被保険者は保険料が割高に感じて加入を控える傾向があります。
参考)https://agent.warc.jp/articles/78ohk4cvdw1
この現象は逆選択(adverse selection)と呼ばれ、保険会社にとっては保険料設定が困難になる要因となっています。被保険者側が自分の健康状態を正確に申告しない可能性もあり、これがモラルハザードという別の問題も引き起こします。日本とアメリカは特に保険契約の種類が多く、様々な商品が販売されているため、この問題がより複雑化しています 。
また、医療や法律などの専門知識や技能を提供する市場においても情報の非対称性は広範に存在します 。患者は自分の病状について医師よりも詳細に知っている面がある一方、医師は病気の診断や治療法について患者よりもはるかに専門的な知識を持っています。この双方向の情報格差が医療サービスの質や患者の満足度に大きな影響を与えています。
労働市場では、労働者(情報優位者)が自分の能力や働く意欲について雇用主(情報劣位者)よりも詳細な情報を持っている状況が典型的です 。求職者は自分がどれだけ熱心に仕事をするかについて雇用主よりもよく知っており、雇用主は求職者の真の能力や労働意欲を完全に把握することは困難です。
この情報格差により、雇用主は求職者の能力を正確に評価できず、優秀な人材を見逃したり、適切でない人材を採用してしまうリスクが生じます。求職者側も、自分の能力や意欲を正確に伝える手段が限られているため、本来の価値に見合わない条件で雇用される可能性があります。
転職市場においては、この問題がより複雑化します。転職希望者は現在の職場での実績や能力について詳細な情報を持っていますが、採用側はその情報を客観的に検証することが困難です。学歴や資格といったシグナルが重要視される理由の一つは、この情報の非対称性を解消しようとする試みと考えることができます 。
参考)https://agent.warc.jp/articles/ss97d3e6j
情報の非対称性を解消する対策として、シグナリング(signaling)とスクリーニング(screening)という手法が開発されています 。シグナリングとは、情報優位者が自分のサービスや商品の品質に関する情報(シグナル)を、情報劣位者に間接的および直接的に提示することによって情報の格差を縮小させる手法です 。
参考)https://www.tkc.jp/tkcnf/message/20171001
具体的には、優良な商品やサービスを提供する事業者が品質保証書を発行したり、第三者機関による認証を取得したりすることで、消費者に対して品質の高さを証明しようとする取り組みが挙げられます。教育分野では、学歴や資格がシグナルとして機能し、個人の能力や知識レベルを示す指標として活用されています 。
一方、スクリーニングとは、情報劣位者がいくつかの案を情報優位者に示して、その選択によって情報を開示させる手法です 。保険会社が被保険者に複数の保険プランを提示し、その選択から被保険者のリスクレベルを推測する取り組みや、企業が求職者に様々な条件を提示してその反応から能力や意欲を判断する手法がこれに該当します。
不動産業界では、不動産テックの進展により情報の非対称性を弱める取り組みが進んでいます 。人工知能によるキャッシュフロー分析や不動産ビッグデータを用いた価値評価により、購入者が不動産の真の価値に基づく判断ができるようになることが期待されています。これにより、購入者と不動産業者との間にある情報格差が縮小し、より公正な取引が実現される可能性があります 。