
沢田マンションが「日本最大の違法建築物」と呼ばれる根本的な理由は、建築確認申請が提出されていないことにある。建築基準法第6条では、一定規模以上の建築物を建築する際には事前に行政の許可である建築確認申請が必要と定められているが、沢田マンションはこの手続きを経ずに建設されたため、同法第9条における違反建築物に該当する。
建設開始時の1971年当時、建築確認申請には400万円以上の費用がかかる見積であったため、オーナーの沢田夫妻は役所に相談したものの、正式な手続きをスキップして建築に着手した。当時の担当者からは「構造強度に文句は言わないが、いずれ手数料を用意できたら許可を取ってほしい」という程度の大らかな対応だったという。
1996年になって10階建ての集合住宅を建てるための建築確認申請書が出されて受理されているが、この申請書に記載された建物は現存の沢田マンションとは異なるものである。つまり、現在の沢田マンションについては依然として建築確認申請が行われていない状態が継続している。
建築確認申請の欠如以外にも、沢田マンションは建築基準法の多方面にわたって違反している可能性が指摘されている。集団規定では建ぺい率や容積率の超過、敷地と道路の関係における規制への不適合、単体規定では各部屋や階段の構造要件、非常階段や避難経路の確保、耐火性能、採光や換気の基準などが現行法から見れば満たしていない点もある。
部屋番号の付番も入居が決まった順に101号室から名付けているため配置がバラバラで、101号室が2階にあるなど通常のマンションとは大きく異なる構造となっている。階段の蹴上げ高さもすべて異なり、階段の配置も至る所にあるという独特な設計である。
こうした構造上の特異性は、専門的な建築知識を持たない夫婦が独学で設計・施工を行った結果であり、「設計図はわしの頭の中にある」として、きちんとした図面もなく独自に工事を進めていったことによるものである。
沢田マンションの歴史は、度重なる行政指導や工事中止命令などの軋轢の歴史でもあった。しかし私有財産権の問題、入居者の居住権の問題などから、高知市都市建設部建築指導課の努力にもかかわらず、有効な指導が難しいのが現状である。
現在では住民で自主防災組織を結成し、年に1度の避難訓練を行うなどして、行政との関係も概ね良好な状態となっている。建物自体も老朽化に対し順次改修や耐震補強が行われ、2005年にはスロープ支柱の耐震補強工事も実施されるなど、自主的な安全対策に取り組んでいる。
この背景には、当初から母子家庭など社会的に困窮状況にある人々に対して入居を優先していた社会的意義があり、現在でもその精神が受け継がれている。オーナーと住民の強い信頼関係と、既成概念にとらわれない運営方針によって成り立っている特例的ケースといえる。
沢田マンションの事例は、不動産業界にとって重要な示唆を含んでいる。まず、建築基準法制定以前の時代背景と現在の厳格な法規制の対比である。1971年当時は現在ほど建築監督が厳密ではなく、このような建築物が黙認される余地があったが、現在では同様の建築は不可能である。
不動産管理の観点から見ると、法令違反状態を抱えた建物の管理は本来非常に困難な案件である。通常であれば融資対象外となり、売買も困難になるが、沢田マンションは特異な運営形態により半世紀近く存続している。これは一般的な不動産投資や管理の常識を覆す例外的事例である。
また、違法建築物の処理における行政の限界も示している。強制的な取り壊しには多大なコストと法的手続きが必要で、入居者の生活権との兼ね合いもあり、現実的な解決策を見出すことの困難さが浮き彫りになっている。
近年、沢田マンションは「日本の九龍城」として建築物探訪の名所となり、観光資源としての側面も持つようになった。見学モデルコースが設定され、宿泊体験も可能になるなど、違法建築物でありながら地域の観光拠点として機能している。
この観光化は、違法建築物に対する新たな価値観を提示している。単なる法令違反として否定的に捉えるのではなく、建築史上の貴重な資料や地域の文化遺産として評価する視点である。海外からの注目も高く、独特な建築手法やコミュニティ形成の事例として学術的な研究対象にもなっている。
ただし、これは沢田マンションの特殊性によるものであり、一般的な違法建築物が同様に扱われるわけではない。オーナーの人格、住民との関係性、地域社会との調和、安全対策への取り組みなど、多くの要因が重なって成立している特例である。
不動産業界としては、このような例外的事例があることを理解しつつも、法令遵守の重要性を改めて認識し、適切な建築確認申請と建築基準法の遵守を徹底することが求められる。