
民法90条は「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする」と定めています。この条文は、社会的に妥当性を欠く法律行為に法的保護を与えないようにするための重要な規定です。
公序良俗とは「公の秩序」と「善良の風俗」を合わせた言葉で、社会全体の秩序や一般的な道徳観念を指します。この規定は具体的な要件を定めていない「一般条項」であるため、何が公序良俗に反するかは時代や社会状況によって変化します。
宅建事業者にとって、この条文の理解は非常に重要です。なぜなら、不動産取引において公序良俗に反する契約を結んでしまうと、その契約全体が無効となるリスクがあるからです。契約が無効になると、すでに履行された部分も含めて契約締結前の状態に戻さなければならず、大きな損失を被る可能性があります。
民法90条は2020年4月に施行された民法改正により、文言に変更がありました。改正前は「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は無効とする」でしたが、改正後は「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする」となりました。
この改正により「事項を目的とする」という文言が削除されたことで、法律行為の目的だけでなく、法律行為の過程や諸事情も含めて公序良俗違反を判断できることが明確になりました。つまり、契約の目的自体は問題なくても、契約に至るプロセスや取引の背景事情に問題がある場合も公序良俗違反として無効となる可能性があります。
宅建事業者としては、契約内容だけでなく、契約締結に至るまでの交渉過程や説明内容についても公序良俗に反していないか注意する必要があります。例えば、相手の無知や窮状に乗じた契約や、不当に高額な手数料を設定する契約などは、たとえ形式的に法律の要件を満たしていても、公序良俗違反として無効となるリスクがあります。
公序良俗の具体的内容は、大きく「公の秩序」と「善良の風俗」に分けられます。
「公の秩序」とは、法秩序に代表される社会の一般的秩序を指します。例えば、以下のような行為は公の秩序に反するとされています。
「善良の風俗」とは、法規制はされていないものの、社会の一般的道徳観念となっているものを指します。例えば。
宅建業においては、特に以下のような行為が公序良俗違反となる可能性があります。
これらの行為は、たとえ当事者間で合意があったとしても、公序良俗に反するとして無効となる可能性が高いため、宅建事業者は細心の注意を払う必要があります。
暴利行為とは、相手方の窮状、経験不足、知識不足などの弱みに乗じて、著しく不公正な取引を行うことを指します。宅建業界では、不動産の専門知識を持たない一般消費者を相手にすることが多いため、特に注意が必要です。
暴利行為の判断基準として、判例上は主に以下の2つの要素が考慮されます。
例えば、以下のような取引は暴利行為として公序良俗違反となる可能性があります。
最高裁判所の判例では、「相手方の窮迫、軽率または無経験に乗じて著しく過当な利益を獲得する法律行為は、公序良俗に反し無効となる」としています。
宅建事業者としては、取引相手の状況をよく確認し、適正な価格や条件で取引を行うことが重要です。特に、相手が不動産取引に不慣れな場合や経済的に困窮している場合には、より丁寧な説明と公正な取引条件の提示が求められます。
脱法行為とは、強行法規で禁止されている手段に該当しない手段を用いて、強行法規が禁止している目的を達成しようとする行為のことです。形式的には法律に違反していないように見えても、実質的に法律の趣旨を潜脱する行為は、民法90条により無効となります。
不動産取引における脱法行為の例としては、以下のようなものが挙げられます。
これらの脱法行為は、たとえ当事者間で合意があったとしても、公序良俗に反するとして無効となる可能性があります。特に、消費者保護法規や税法などの強行法規の趣旨を潜脱するような取引は、裁判所によって厳しく判断される傾向にあります。
宅建事業者としては、法律の文言だけでなく、その趣旨や目的を理解し、実質的に法律を遵守する姿勢が求められます。「抜け道」を探すのではなく、適正かつ透明な取引を心がけることが、長期的な信頼関係の構築につながります。
民法90条に関する判例は数多くありますが、ここでは宅建業者が特に注意すべき判例をいくつか紹介します。
1. 賃貸借契約における敷引特約に関する判例
最高裁平成23年3月24日判決では、賃貸借契約における敷引特約(敷金の一部を返還しない特約)について、敷引金の額が高額に過ぎる場合には消費者契約法10条により無効となる可能性があるとしました。この判決は、敷引特約そのものを否定するものではありませんが、その金額が不相当に高額である場合には公序良俗違反として無効となる可能性を示しています。
宅建業者としては、敷引金の設定に際して、物件の経年劣化や通常損耗の補修費用として合理的な範囲内にとどめるべきです。
2. 暴利的な不動産売買契約に関する判例
東京高裁平成21年9月9日判決では、不動産業者が高齢者から相場の半額程度で不動産を買い取った事案について、売主の判断能力の低下に乗じた暴利行為として公序良俗違反により無効と判断しました。
宅建業者は、特に高齢者や判断能力に不安のある人との取引においては、適正な価格での取引を心がけ、必要に応じて家族や専門家の立会いを求めるなどの配慮が必要です。
3. 反社会的勢力との取引に関する判例
最高裁平成20年2月19日判決では、反社会的勢力との取引が公序良俗に反するとして無効となる可能性を示しました。宅建業者は、取引相手が反社会的勢力でないことを確認するための適切な調査を行う必要があります。
4. 手付解除制限特約に関する判例
最高裁平成9年7月1日判決では、売主からの手付解除を制限する特約について、買主にのみ手付解除権を認める不平等な特約は公序良俗に反する可能性があるとしました。
宅建業者としては、契約条項の設定に際して、双方の権利義務のバランスを考慮し、一方に著しく不利な条件を設定しないよう注意する必要があります。
これらの判例から学ぶべき点は、形式的な法律の遵守だけでなく、取引の実質的な公正さや相手方の状況に配慮した取引を行うことの重要性です。特に弱い立場にある消費者との取引においては、より高い倫理観と公正さが求められます。
宅建事業者が民法90条の公序良俗違反を回避するためには、以下のような実務対応が重要です。
1. 適正な価格設定と手数料
不動産取引における価格や手数料は、市場相場や法定上限を考慮した適正な範囲内で設定しましょう。特に以下の点に注意が必要です。
2. 丁寧な説明と情報提供
取引相手、特に不動産取引に不慣れな消費者に対しては、丁寧な説明と十分な情報提供を心がけましょう。
3. 契約条項の公正性確保
契約書の作成にあたっては、双方の権利義務のバランスを考慮し、一方に著しく不利な条件を設定しないよう注意しましょう。
4. 取引相手の状況への配慮
取引相手の状況や属性に応じた適切な対応を心がけましょう。
5. 記録の保存と透明性の確保
トラブル発生時に備えて、取引の透明性を確保し、適切な記録を保存しましょう。
これらの実務対応を徹底することで、公序良俗違反のリスクを大幅に低減することができます。また、こうした誠実な対応は顧客からの信頼獲得にもつながり、長期的なビジネスの発展にも寄与するでしょう。
不動産取引における公序良俗違反の具体例と判例解説
公序良俗違反となる不動産取引の具体例と関連判例について詳しく解説されています。
民法90条と宅建業法は密接な関係にあり、宅建業者はこの両者の関係を理解して業務を行う必要があります。
宅建業法の強行法規としての性質
宅建業法の多くの規定は強行法規であり、これに違反する取引は民法90条の公序良俗違反として無効となる可能性があります。特に以下の規定に注意が必要です。
宅建業法違反と民法90条の適用関係
宅建業法違反があった場合、その違反の程度や内容によって、民法90条の適用可能性が変わってきます。
実務上の留意点